終了間近!横浜美術館『原三溪の美術』展・担当学芸員がガイドする観ておくべき11点

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横浜美術館エントランスカルチャー
※この記事は約 10 分で読めます。

日本美術を網羅した伝説の大コレクションで、この規模の展示は史上初、しかも今後もできるかどうかわからないと言われている「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」展。

7月に公開されてから大きな反響を呼び、最近ではNHK Eテレ日曜美術館で特集され、オンデマンドサービスPraviにてガイド動画が公開されています。

そんな原三溪の美術展も終了間近ということで、横浜美術館主任学芸員の内山淳子さんに「なぜ伝説のなの?」「この機会に観ておくべき作品は?」などをガイドしていただきました。

横浜美術館 内山学芸員内山淳子
うちやまじゅんこ
横浜美術館主任学芸員。早稲田大学文学研究科美術史専攻修了。専門は明治・大正期の日本の絵画。共著書に『はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ』(大修館書店)、『ファッションとアート 麗しき東西交流』(六耀社)、『原三溪の美術 伝説の大コレクション』(求龍堂)

あわせて、鑑賞前後のお楽しみも紹介しています。

まだ観ていないの方だけでなく、観た方も、もう一度行ってみませんか?

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1.原三溪とは、どんな人?

原三溪

提供:三溪園

1-1.若き日の原三溪

原三溪(はら さんけい 本名:富太郎1868-1939)は、近代日本を牽引した実業家であり、当時を代表する文化人として、美術コレクター、芸術のパトロン、茶人、アーティストなどさまざまな顔を持ちます。

原富太郎は、岐阜県渥美郡佐波村(現岐阜市)で代々庄屋を務める青木家の長男として生まれました。村長を勤めた父、著名な南画家の娘だった母のもとで、幼い頃から勉学に励み、母方の伯父から絵画や詩文、漢学塾に席を置いて漢詩や漢文、儒教にも通じていきます。また、幼い頃から父より茶道の手ほどきも受けました。その優秀さに、地元では神童と呼ばれていたといいます。

17歳で上京してからは、東京専門学校(現早稲田大学)にて学び、23歳のときに横浜の生糸業で財を成した豪商・原善三郎の孫である原屋寿と結婚。原家の養子となりました。

1-2.事業の拡大と文化交流

31歳のときに、善三郎の死去に伴って原商店を継ぎ、原合名会社に改組して近代化。横浜を拠点として、輸出業などにも事業を拡大し、34歳で銀行頭取に就任する一方、富岡製糸場(世界文化遺産)などを入手し製糸業に手を広げます。

一方、横浜市本牧三之谷の広大な敷地に本宅を建て、敷地内庭園に古建築の移築を始めたのが三溪園のはじまりとなりました。

35歳で《孔雀明王像》(国宝。会期前半に展示)を井上馨より1万円で購入。当時の仏画が数百円程度で売買されることが多かった中で破格の値段でした。これをきっかけに、三溪は美術コレクションに本腰を入れます。また、《孔雀明王像》の模写のため、日本画家・荒井寛方(あらいかんぽう)を三溪園に滞在させて以降、芸術家支援も積極的に行うようになりました。

造園を進めていた三溪園は38歳のときに完成し、市民にも無料開放されます。ここは文化交流の場にもなり、国内外から著名な実業家や文化人が滞在し、三溪を通してさまざまな日本の美に触れました。

その後も事業での功績から数度の叙勲を受けています。また文化面では所蔵品の展覧会、三溪園での茶会、芸術家の政策援助を行いました。

1-3.関東大震災と原三溪

55歳で箱根の別荘に滞在していたとき、関東大震災が起こり、会社や銀行が全焼。長年かけて準備し、出版を待つばかりだったコレクション精選集『三溪帖』も消失してしまいました。震災後は、茶道具以外の美術品収集や芸術支援を封印し、私財を投じて横浜の復興事業に専念したのです。

1-4.晩年の原三溪

復興が一段落したのちも、さまざまな分野の社会事業に貢献しました。晩年は親しい人々との三溪園での茶会や、幼い頃からの趣味であった書画三昧を楽しんでいた三溪ですが、ふたたび悲劇が起こります。

69歳のとき、最愛の長男・善一郎が46歳の若さで急逝してしまいます。そのすぐ後に開催した三溪園の夏の茶会は、息子への追善の気持ちが込められた名茶会として語り継がれています。

2年後、71歳になる直前に三溪は腸疾患の再発で自邸にて亡くなりました。その後、正五位に叙されています。

2.「原三溪の美術」展でゼッタイ観ておくべき11点:

「原三溪の美術」展では、さまざまな顔を持つ三溪の美術を「三溪前史(若い頃)」「コレクター三溪」「茶人三溪」「アーティスト三溪」「パトロン三溪」という5つの会場で紹介しています。

この期間観ることのできる作品から、内山さん特に観ておくべき11点をガイドしていただきました。これらの作品をチェックしたら、これ以外の作品も含めた中での自分のお気に入りを見つけましょう。

2-1.伝説のコレクションとは?

今年は横浜美術館の30周年に加えて、三溪園をはじめとして地元に多くの功績を残した原三溪の没後80年にあたります。この記念すべき年に、横浜を代表する文化人である原三溪の大コレクションを展示することは、横浜美術館の念願でした。

関東大震災で焼失したコレクション精選集『三溪帖』は、三溪が数冊の大学ノートに自ら鉛筆で記した草稿が残されています。作品それぞれに三溪がみずから解説を書いたもので、三溪のコレクションの中でも特にお気に入りだった作品が選ばれており、そこに掲載していた作品を一堂に集めることが今回の展覧会の大きな目的です。

これだけの点数は、さすがに三溪でも一度に観ることはなかったと思われますし、また震災が起こる前は三溪が美術館の建造を計画していた話もあり、今回の展覧会では三溪の夢を叶える気持ちもありました。

また、本来コレクションというものは、集めた人が亡くなった後、何もしなければ散逸してしまいます。しかし、三溪の場合は多くの友人知人や、その価値を知る人々の努力で、今でもほとんどの作品の所在がわかり、集めることができたことも素晴らしい価値だと思います。それらを含め「伝説の」という枕言葉をつけています。

三溪はみずから歴史家としても大変な勉強家であり、その中から自分なりの歴史観を持っていました。そのため、コレクションも単なる好みというより、歴史観に沿っていることにも深い意味を感じます。

また、実業家ならではの三溪のユニークさとして、若い頃から“買入覚”をつけていて、美術品の売買の記録が残っています。何を買うために、何を売ったかなど、三溪の美術品との関わりが具体的にわかる資料で、一部を展示しています。

三溪の膨大なコレクションの中で興味を感じる作品を見つけることが、日本美術を知るきっかけになれば嬉しいです。

ーー(談)横浜美術館主任学芸員・内山淳子

2-2.三溪前史

17歳で東京に出て、結婚後は終生横浜で暮らした三溪ですが、地元岐阜への愛着は深く、たびたび帰省したり、災害支援を行っていました。有名な三溪園の蓮も、もとは岐阜が産地だったことからとも言われ、三溪園の風景やみずから描く絵画にもその面影が偲ばれます。

このパートでは若き日の三溪の絵画に神童ぶりがうかがえ、写真や記録を通して、三溪を培った土壌を知ることができます。

2-3.コレクター三溪

愛染明王像

重要文化財 《愛染明王像》
平安時代後期(12世紀)
細見美術館蔵
※展示期間:8月9日~9月1日

重要文化財 《愛染明王像》
愛染明王は、平安時代後期に貴族が信仰した仏様で、愛欲を悟りに変えたり、恋愛成就の仏様として、信仰が個人的な物になってきた時代背景が伺えます。作品としては保存状態が良く、色彩が鮮やかに残っているのが素晴らしい。6本の手のうち真ん中の腕が持っている弓矢が、西洋のキューピッドになぞられる説もあって面白いです。《焰魔天像》《孔雀明王像》と並び、三溪の三大仏画のひとつ。

国宝《寝覚物語絵巻》

国宝 《寝覚物語絵巻》(部分)
平安時代後期(12世紀)
大和文華館蔵 
※展示期間:8月9日~9月1日

国宝 《寝覚物語絵巻》
菅原孝標女の作と伝えられる『夜の寝覚』を題材とした絵巻です。『夜の寝覚』は、姉の夫や冷泉帝(のちに院)に愛された寝覚の君の激しい恋愛ストーリー。源氏物語につぐ、平安絵巻の傑作ですが、欠落が多くミステリアスな部分もあります。金箔を粉にした砂子や、截り金が残っているので、ぜひ目を凝らして観てください。

布袋見闘鶏図

宮本武蔵《布袋見闘鶏図》
江戸時代初期(17世紀前半)
福岡市美術館蔵(松永コレクション)
※展示期間:8月9日~9月1日

宮本武蔵《布袋見闘鶏図》
宮本武蔵が絵を描いていたことはご存じのない方が多く、まずそこに皆さん驚かれます。それに加え、この布袋さんの可愛らしさ。三溪自身、実業家の余技として絵を描いていたので、余技で作られた作品を愛好し、「余技」という作品集を作ったほどです。三溪は、闘鶏を見る布袋さんの眼差しに、武蔵の晩年の心境を見たという評を残しています。

尾形光琳《伊勢物語図 武蔵野・河内越》

尾形光琳《伊勢物語図 武蔵野・河内越》
江戸時代前期(18世紀)
MOA美術館蔵

尾形光琳《伊勢物語図 武蔵野・河内越》
伊勢物語の中から、12段「武蔵野」と23段「筒井筒(河内越)」をテーマにした双幅。もとは六曲一双屏風の一部であったと伝えられています。男女の心情が細やかな筆致で美しく描かれたこの作品を、三溪は「光琳人物画中ノ傑作」と評しています。

四季山水図巻

重要文化財 伝雪舟等楊《四季山水図巻》(部分) 室町時代(15世紀)
京都国立博物館蔵  ※展示中、巻替えあり

重要文化財 伝雪舟等楊《四季山水図巻》
雪舟は室町時代の禅僧です。三溪は終生この作品を愛し、亡くなる直前に枕元に広げて、生涯最後に鑑賞をした作品と伝えられています。

2-4.茶人三溪

君不知

《井戸茶碗 銘 君不知》
朝鮮時代(16世紀)

《井戸茶碗 銘 君不知(きみしらず)》
井戸茶碗は、高麗茶碗と呼ばれる朝鮮半島で作られた器のひとつです。室町時代に日本にもたらされ、桃山時代の茶の湯において大変人気がありました。銘の君不知は鷹の両翼裏の羽模様のことで、最上級の矢羽根とされています。三溪は長男・善一郎の追善茶会の薄茶器として用いました。この茶会は招待客には追善と知らせず、開催中にも一切そのことには触れなかった三溪ですが、道具にその悲しみや悼む気持ちを込めたところに深い精神性が伺えます。

王子形水瓶

《王子形水瓶》
奈良時代(8世紀)
福岡市美術館蔵(松永コレクション)

《王子形水瓶》
素材である佐波理(さはり)は銅合金の一種で、法隆寺伝来と伝えられています。もとは観音像の持物か仏具と考えられますが、三溪は花入として幾度となく茶会に愛用しました。仏教美術を茶会に採り入れたのも、美をそのままに捉えた三溪ならではの発想と言えます。当時の数寄者の間では“三溪さんの水瓶”として知られていました。

2-5.アーティスト三溪

原三溪《白蓮》

原三溪《白蓮》
昭和6(1931)年

原三溪《白蓮》
晩年の三溪は、自ら描いた絵画を親しい人に送っており、この作品は日本画家・小林古径に贈ったものです。三溪園の蓮池や故郷の風景を思わせる蓮には、三溪が好きだった琳派のたらしこみ(溜込)などの技法を用いています。そのあまりの清らかさに、受け取った古径が仏画仕立ての表具を施したことを喜び、三溪が贈った手紙が残っています。

原三溪「自画像」

原三溪「自画像」
昭和8(1933)年 三溪園蔵

原三溪「自画像」
65歳の三溪が箱根の別荘でくつろぐ自分を描いた自画像。人生90年として、30年は修養に、30年は世事に着くし、晩年30年は悠々自適の生活を、と人生観を語っていたとおり、お気に入りの道服を着て、寝転がって読書にふける姿は、理想の晩年だったと思われます。

2-6.パトロン三溪

重文_下村観山「弱法師」(部分)

重要文化財 下村観山《弱法師》(部分)
大正4(1915)年 東京国立博物館蔵
 Image:TNM Image Archives
*展示期間:8月9日~9月1日

重要文化財 下村観山《弱法師(よろぼし)》
下村観山は、三溪の5歳年下。三溪40歳の頃から支援しています。多くの画家を支援していた三溪ですが、観山は特にお気に入りだったようで、本牧に家と画室を建てて観山を招き、制作を援助しています。奇抜な革新性ではなく、伝統によりそって新しい作品を生み出す控えめな観山の姿勢に美術に向かう者として通じるものを感じたのかも知れません。観山の代表作であるこの作品では、三溪園にある臥竜梅がモデルとなっています。

小林古径「極楽井」

小林古径《極楽井》
大正1(1912)年 東京国立近代美術館蔵
*展示期間:8月2日~9月1日

小林古径《極楽井》
小林古径が1912年の第六回文展に出品した作品。東京・小石川の霊泉に水を汲みに来た少女達を桃山風俗で描いています。左側の少女の着物の柄はイエズス会のシンボル、右端の少女の腕にはロザリオなど、桃山モチーフを探すのも楽しいです。背景としては、当時の日本美術院の画家達に桃山(南蛮)ブームがあったことが伺えます。三溪もこの時代を好み、秀吉ゆかりの品の展示を行ったりしていました。

3.「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展覧会情報

横浜美術館

3-1.会場

【横浜美術館】
日本を代表する建築家、故・丹下健三により設計された石造りのシンメトリーな外観が特徴的な横浜美術館は、1989年11月3日に開館しました。

〒220-0012 神奈川県横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号
TEL:045-221-0300(代表)

3-2.「原三溪の美術 伝説のコレクション」展・開催情報

★開催期間:2019年9月1日(日)まで

★開館時間:10時~18時
※8月30日(金)31日土曜日(土)は20:00までオススメ!
※入館は閉館の30分前まで

★観覧料(当日券):一般1,600円、大学・高校生1,200円、中学生600円
※再入場割引き:観覧済み鑑賞券提示で200円割引
※入館前に購入できる、公式オンラインチケットあり(日経ID会員は割引き購入できます)

★休館日:8月29日(木)

★三溪園との無料シャトルバス運行:8月26日(月)※詳細はこちら
※三溪を知る上で欠かせない三溪園(会期中は当日観覧料金の相互割引きあり)もこの機会にゼヒ行ってみたい!

3-3.横浜美術館へのアクセス

★電車
・みなとみらい線(東急東横線直通)
「みなとみらい」駅〈3番出口〉から、マークイズみなとみらい〈グランドガレリア〉経由徒歩3分、または〈マークイズ連絡口〉(10時~)から徒歩5分。

・JR(京浜東北・根岸線)・横浜市営地下鉄
「桜木町」駅から〈動く歩道〉を利用、徒歩10分。

★バス
桜木町駅から、市営バス156・292系統で「横浜美術館」下車。

★車
・桜木町駅前から日本丸方面へ入る。または桜木町駅前から紅葉坂交差点を右折してMM21地区へ入り、美術館へ。
・横浜駅からは高島町MM21地区入口を通って美術館へ。
いずれも3~5分(首都高「みなとみらい出入口」も利用できます)。

→さらに詳しいアクセス情報はこちら

4.『原三溪の美術』展を鑑賞前後のお楽しみ情報(まとめ)

横浜美術館エントランス
取材も兼ねて、私も横浜美術館に行ってきました♪

海のすぐ近くの美術館。前には庭園が広がり、市民の憩いの場になっています。

入り口横は、カフェとミュージアムショップの入り口。こちらは、鑑賞後のお楽しみです。
横浜美術館カフェ&shop

入館すると、正面にあるのはフォトブース。置かれた蓮花のプロップスなどを使って、インスタ映えを狙えます!
横浜美術館フォトコーナー

会場はパート毎にわかれ、流れが作られていてとてもわかりやすい。タイミングによって、ガラスの反射で見にくいこともあるので、細かい所を遠くから見るのにオペラグラスや単眼鏡を持ってきている方もいました。

本当に日本美術のトップクラスの作品ばかりで、さまざまな所で見知ったものが多く、三溪さんの鑑識眼の素晴らしさを実感します。

展覧会は内容によって、観た後にどっと疲れることもありますが、三溪さんの展覧会は元気をもらえました。本当に素晴らしい作品って癒やし効果もあるのかもしれません。特に蓮には癒されました。

会場を出ると、三溪展オリジナルグッズ売り場。
三溪展特設ショップ

蓮のデザインがすごく可愛いトートバッグは、図録ぴったりサイズ。
三溪bag

“オリジナルもなか”というのも、ありましたよ。

三溪もなか

※うしろの「弱法師」はクリアファイルです。

★オトク情報(チケットは捨てないで!):横浜美術館は展覧会中近隣ホテルや施設とのタイアップを行っていて、展覧会のチケット提示で展覧会オリジナルメニューや割引きなどいろいろオトク。タイアップ施設や内容に関しては、会場出てすぐの所にチラシが並んでいますし、上記リンクから行く前にチェックするのもオススメ!

ミュージアムショップにも「原三溪の美術」展コーナーがありました。ほかに横浜美術館30周年記念ワインや可愛いデザインの横浜美術館オリジナルグッズなども販売しています。
横浜美術館ショップ

最後に、カフェで一息。オリジナルスイーツをいただきました。

三溪スイーツ

抹茶わらび餅の和風パフェ(778円)、香ばしセサミの抹茶ラテ(486円)

どちらも甘さ控えめで、パフェはサイズが小さく、両方食べてもOK。パフェはもなか、抹茶わらび餅、ソフトクリーム、生クリーム、小豆アイス、コーンクリスプ。固めのコーンクリスプがポリポリと美味しかったです。セサミ抹茶ラテは、すっきりとした抹茶味にごまの香ばしさが隠れた爽やかな味わいでした。

日本美術の最高峰が揃った「原三溪の美術」展を拝見して、三溪さんの包容力のある人間性の深さ、横浜の人々の三溪さんへの思いを肌で感じました。日本人であることに誇りが持てる展覧会です。

カルチャー
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この記事を書いた人
瀬津 由紀子

1963年東京生まれ。家業である古美術商・瀬津雅陶堂を手伝う傍ら、フリーライターとして活動。講談社、世界文化社の婦人誌を中心にインタビュー、アート、旅行などの取材、ライティングを行う。
2000年より株式会社オフィス・アイシス代表取締役。「エイルナビ」編集長

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