銀座中華第一樓:編集長ブログ_3

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前回、お店の話を書いていたら、同じ頃の外せない思い出に、いまはない中華の名店「銀座中華第一樓」(があります。

私が生まれるとき、母がここで産気づいたというくらい、生まれる前からのご縁です。

幼い頃は、ちょっときどった外食とか、祝い事のときは必ずここに行っていました。

おでかけでファミリアとかヤングエージの“よそゆき”を着せられるのが嫌いな、幼い頃からしゃっれ気のない子供でしたが、「ちゅうかだいいちろう」は美味しいものが食べられると、お着替えも機嫌良かった気がします。

地下に下りていく階段が少し怖かったこと、装飾がシックで大人の世界だったこと……など、未だに映像で思い出せます。

少し調べてみたら、思っていた以上に名店だったことがわかりました。

台湾出身で、辛亥革命のときに孫文たちとたたかった革命家・林文昭が犬飼毅のすすめで日本に残り、1901年に台湾から連れてきたコックを集めて開店、戦後に銀座2丁目に移転したそうです。

閉店時期は不明……食べログに載っているぐらいで、2006年までは口コミやほかのブログでの紹介もあるのですが、当初は移転とされていたのが結局閉店してしまったようですね。

幼い頃行ったときは、初老のウェイターさんがいつも笑顔でとってもやさしくて、毎回子供用のプラスチックスプーンと箸のセットをくれました。スプーンの頭にぞうさんが付いたスプーンが、家で貯まっていたのも思い出します。

細麺のコウメン、パラパラのチャーハン……美味しかったなあ。(それ以外は、大人の料理で食べた記憶がない)

 

 

幼い頃行ってた中華でもう一件思いだしたのが、高輪に住んでいた頃に週末よく行ってた伊皿子坂「ホテル高輪」の中華。これはさすがに情報が見つからなかったです。半世紀前だものねえ……

 

※今回は画像がなかったので、中華っぽいの使いました。中華第一樓の画像は食べログにちょっとだけ残ってます。

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この記事を書いた人
瀬津 由紀子

1963年東京生まれ。家業である古美術商・瀬津雅陶堂を手伝う傍ら、フリーライターとして活動。講談社、世界文化社の婦人誌を中心にインタビュー、アート、旅行などの取材、ライティングを行う。
2000年より株式会社オフィス・アイシス代表取締役。「エイルナビ」編集長

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