お店のこと:編集長ブログ_2

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骨董屋話の続きです。

お店……というと夜のお店を連想しますが、幼い頃から我が家では「瀬津雅陶堂」のことでした。

初代から日本橋高島屋近くに店を構えていて、今はビルになっていますが、私が幼い頃は日本家屋の一軒家でした。

4,5歳ぐらいの記憶を辿ると……

道に面したガラスドアの入り口で、入るとショウケースが並ぶ展示室、横に小さな洋間の応接室。この二つは靴のまま入れます。

展示室から靴を脱いで上がると、左側に広い日本間。いくつもの風呂敷が並び、ワイシャツの腕まくりをした社員さんたちが美術品を扱っています。

右側は階段で、上にあがると屏風などを見せる広い和室があったそうですが、幼い私は危ないからと上がらせてもらったことがほとんどありません。

私がいたのは、廊下突き当たりの台所。三方を建物に囲まれていたお店なので、一番奥は昼間でも電気をつけないと真っ暗。そこで、高島屋のバラの包装紙にぬり絵していたのを覚えています。

ほかに6畳一間があるぐらいで人がいる場所が少なく、仕事がない社員さんは台所にいることになり、必然的に私がいると子守をする羽目になっていました。

今考えれば、あそこほど幼い女子がいるのに不釣り合いな場所はなかったなあと思います。

当時の社長だった初代の祖父には、幼な心に自宅に遊びに来るときと違う緊張感、怖さみたいなものは感じていました。もしかしたら当時から美術品を見せてもらていたかもしれませんが、さすがに覚えていないんですよね。

その後、両親が海外に行くようになったり、来客も増えて、私はお店に行っても長居することなくなり、あまり記憶がありません。

そして私が15歳(昭和53年)のときに、雅陶堂は今のビルになりました。

 

ちなみに、後年私もお店の手伝いをするようになってから聞いたのですが、古美術商はスーツが基本で、夏でも長袖のワイシャツを着用しています。また、品物を扱うときは、腕時計、タイピンなどの装身具は御法度。

貴金属類は、壊れやすい美術品、特に陶器類などを扱うときに破損の原因になるかもしれないので、いずれも傷つけないための配慮です。

これは女性も同様で、お店で美術品を拝見したり、お抹茶をいただくとき、母はにこやかにお客様と話しながら、指輪や腕時計をささっとはずしていました。

その優雅さやタイミングがかっこいいなあと思って、マネしていたら自然に身につき役立っています。

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この記事を書いた人
瀬津 由紀子

1963年東京生まれ。家業である古美術商・瀬津雅陶堂を手伝う傍ら、フリーライターとして活動。講談社、世界文化社の婦人誌を中心にインタビュー、アート、旅行などの取材、ライティングを行う。
2000年より株式会社オフィス・アイシス代表取締役。「エイルナビ」編集長

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