2020年10月8日に、「鈴木治(すずきおさむ)・土のかたち」展に行ってきました。
鈴木先生は、1948年に前衛陶芸作家集団「走泥社(そうでいしゃ)」を結成、立体造形としての作陶を追求し、国内外で高く評価されています。
大きな受賞歴だけでも、ヴェロリス国際陶芸ビエンナーレ展大賞、毎日芸術賞、紫綬褒章、日本芸術大賞、朝日賞(陶芸界初)と数多く、また指導者としても長年京都市立芸術大学で後進の指導にあたりました。
実は鈴木家とのお付き合いは長く、40年以上前から10年間ぐらい、年に1度、父である瀬津雅陶堂社長・巖を団長とした「中国美術愛好者有効訪中団」が訪中していたのですが、そのメンバーとして鈴木先生もお嬢様の淑子さんと参加していました。
私が21歳の時に、弟の受験で行けなかった母の代わりに一度だけ参加したとき、淑子さんが一人で来ていて意気投合。(二人が会う前から、父がそれぞれに「気が合いそうだ」と言っていたことがあとで判明)
帰国してからも家族ぐるみでのお付き合いが続き、鈴木先生には、母がオーナーだった雅陶堂ギャラリーで個展も開催していただきました。
そんな成り行きで、今回は淑子さんからご招待いただき、佐賀からでしたのでタイミング良くGOTO使っての京都行きとなったわけです。
中信美術館は、京都中央信用金庫の運営する美術館で、住宅街の中の洋館で、3つの展示室は小降りながら、天井が高く、作品と対峙するには丁度良い広さ。
展覧会自体は、プライベートな回顧展といった内容でした。個人的に懐かしかったのが、
先生が初めて信楽の穴窯で作陶したとき、個人的に窯出しに呼んでいただいて、最初に出てきた花入が、1988年……そっか、自分25歳だったか……かっこつけて一眼レフ持っていって写真撮りまくったのに、手ブレでほとんど写ってなかったという痛い思い出。
雅陶堂ギャラリーの酒器展に参加いただいたときに、母とアトリエにうかがって初めて拝見した、白鳥を象った酒碗(すわん)。
雅陶ギャラリーの個展に出品いただいていた色とりどりの香合とか、陶枕とか。
何より、亡くなる前年に企画していた「蘖(ひこばえ)」展に出品するはずの作品が並んでいるコーナーを拝見したときは、言葉にならなかったですねえ。
実は、鈴木治先生は2001年に、急逝と言って良いぐらい短期間で亡くなってしまって、その知らせを聞いたとき、前年に父が亡くなっていたので(呼んじゃったんじゃないか……)と申し訳ない気持ちになったのを思い出しました。
先生の代表的なモチーフである青磁の馬を、私もひとつ父からもらっていて、一人暮らしになってからずっと持ち歩き、今は佐賀のリビングで見えるところに飾っています。
その後、またまたなつかしい、祇園の「おいと」さんにご招待いただき、歓談。30年ぶりぐらいに伺って、懐かしさ全開。まあちゃんも女将さんもお元気で、牛すじ堪能いたしました。