骨董屋の娘:編集長ブログ_1

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緊急事態宣言が実質解除されつつあり、あちこちで緩みを指摘されている今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか?

エイルナビ編集長の瀬津由紀子です。

私は20年以上前から、事務所のある九州と東京でいわゆる二拠点生活を送っていて、ここ5年ぐらいは1ヶ月以上一所にいたことがなかったのですが、3月末から九州にいて東京に帰れない状況が続いています。

移動してきた当初は、さすがに自分が感染者だったらどうしようという不安にかられ、(東京にいるときはそうでもなかったのですが、逆にこちらに戻ってからのアウェイ感がハンパなかったです)2週間は数日ごとの買い物以外、人に会わずに在宅していました。

自粛明けてからは出かけることもありますが、逆にStayHomeになれると本来の引きこもり性格ですっかり快適になってしまい。むしろ、元の生活に戻れるか不安すら感じます。

もともとオンラインの仕事ですから、テレワークにしても、オンラインミーティングにしても前からやっていたので、仕事上の問題はなく、逆に時間がある中でいろいろ考えることができるようになりました。

その中で、この機会に自分の言葉でもいろいろ伝えたいことがあり、今更ですがブログを始めました。

プロフィールでも書いていますが、私の家は古美術商です。

祖父が画家からスタートして、北大路魯山人の星ヶ丘茶寮で会計を勤めた後、当時集めた美術品をもとに始めたもので、父が大きくし、現在は弟が社長を務めています。

そのような環境なので、たとえば幼い頃一番最初に覚えている絵がミロのリトグラフだったとか、たまに食卓に魯山人の器が並んだとか、海外行くと美術館に行くのが当たり前だったとか、まあそれらしい話はいろいろあるのですが、当人にしてみればそれが当たり前の環境だったのです。

むしろ小学生の頃は、両親の話によく出てくる“ロサンジン(魯山人)”は外国の人(ロサンとロサンジェルスが混同していたかと)と思っていたぐらいで、(外国の人なのにどうしてこんなに日本的な物が作れるのか)と勝手にウズベキスタンあたりの地域の人と想像していたぐらいです。

男尊女卑ということではなく、特に古美術に関しての商売は男がやるものというのが当たり前と思っており、弟もいたので、その後も美術を学ぶことをせず、ただひたすら好きとか嫌いとかの感性だよりで今に至ります。

なので、弟と話していて、作品の名前を言われるのが実は恐怖で……覚えている物もあるし、見ていても名前知らない物もあるし……

ただ、アートは身近なものだし、可愛いや嬉しいというのは未だにあって、良いお茶碗を見たときに、許可を得てからひっくり返して高台にうっとりするときなど、(骨董屋の娘だなあ)と実感します。

アート全般、特に本物の持つ力とは、理解するより感じる方が先だと考えていて、食器一つ良い物を使うだけでも、少し気分が変わったりしますよね。

でも、全く知らないと意味がわからず、面白さに気付けないことも多いと思います。

芸術と情報というのは、バランス良く双方を持ち合わせることで、より人生を豊かにしてくれる……というようなことを、これから発信していたらいいなと思います。どうぞよろしくお願いします。

 

近況:お花屋さん支援も兼ねて、キッチンカウンターに小さいブーケを欠かさず飾るようにしています。台所仕事も花があると気分がいいですね。

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この記事を書いた人
瀬津 由紀子

1963年東京生まれ。家業である古美術商・瀬津雅陶堂を手伝う傍ら、フリーライターとして活動。講談社、世界文化社の婦人誌を中心にインタビュー、アート、旅行などの取材、ライティングを行う。
2000年より株式会社オフィス・アイシス代表取締役。「エイルナビ」編集長

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